やまぎ日報100

5月9日

夜勤。夜勤の休憩の限られた時間でいかに効率よく睡眠をとるかを追求した結果、家の布団より安定した睡眠が得られるようになってしまった。どこでも眠れるというのは本当に強い。晩年の高田渡は弾き語りをしながらステージで眠ってしまったらしい。神である。

5月10日

昔、姉がフルマラソンを完走した時、「一度歩いてしまうと二度と走れなくなる気がした。だから走り続けた。人生と似ていた」と言った。太く短く生きたロックスターの晩年の名言のようだ。その言葉を思い出しながら今日もジョギングを始め、3キロ走ったところで疲れたので一回歩いた。ぼくの人生はそんなものだ。

5月11日

鴻巣市の文化センターへ、オトノハコブネのコンサートを観に。チェロは櫻井さん。超一流の演奏家の皆さんに終始ウットリであった。夜、晩酌をしながら映画「この世界の片隅に」を鑑賞。酔っ払ってボロボロ泣いて、この家の片隅で寝た。

5月12日

母の日だったので、花を買って会いに行ってきた。そして実家の近くのレストランで両親と食事を。今日こそ息子がご馳走するのだと意気込んで行ったが、会計は父がしてくれた。財布を出しかけたぼくに、「出したつもりにだけなればいい」と父は言った。

5月13日

当初リハ候補日だったのだがリハがなくなり全員空いていたので、しあわせが行きつけの草加のサウナに19時に集合した。19時から「熱波師」なる人が、サウナ内で熱風を吹きかけてくれるイベントがあるらしい。なんだそれは。
ただでさえ暑いサウナの中、バズーカーのような巨大なドライヤーで熱波師が熱風を浴びせてくる。それを全裸のおっさんたちが苦しそうな嬉しそうな顔で受け止めている。途中、一人また一人と脱落していくが、最後には生き残った者たちから惜しみない拍手が熱波師に送られ、妙な一体感が生まれる。しあわせは、「もっとください」と言わんばかりの恍惚の表情で熱波を浴び、直後に水風呂に入り完全にトランス状態に陥っていた。水風呂で白目を剥いているしあわせを見て、本気で通報した方がいいのではないかと思った。


その後、銭湯の物販でしあわせは「サウナTシャツ」を買い、小倉は「サウナパーカー」を買った。完全にディズニーランドでお土産を選ぶテンションだった。

そしてしあわせの強い要望でしゃぶしゃぶへ。


「サウナと水風呂に交互に入るのと同じ効果」という意味不明の理屈で、しゃぶしゃぶとアイスを交互に食べるしあわせ。結局サウナで減った分はしっかりとしゃぶしゃぶで補充し、解散となった。とてもいい休日だった。

5月14日

熊谷モルタルレコードで恒例のイベント「2時間耐久尾崎豊」。甲子園っぽく言うと、1年ぶり2回目となる出場。実際のところ、ぼくにとっては甲子園くらいハードルは高い。初出場のザナチュラルキラーズ先輩は、おそらく百戦錬磨の猛者なのだが、このイベントに関してはリハの時から尾崎豊ばりに答えを求めて闇さまよっていた。しかし終わってみれば、ナチュキラ先輩が一番男らしい正統派尾崎だった気がする。ぼくは完全にフォークだったし、傷彦は完全に傷彦だったし、大トリのガンプマンは途中から尾崎では声が出なくなり玉置浩二に切り替えるという、ぶっとんだステージだった。しかし共通してあふれていたのは尾崎への愛。真実の愛。
いつもどおり最後に全員で「Freeze Moon」を熱唱してカオスの中終演となったのだが、ぼくの隣でナチュキラ先輩が、会場の空気に戸惑いながらもアウトロの尾崎のセリフを完璧になぞっていて、「ああ、この人は本物だ」と思った。


なぜか3rdアルバム「壊れた扉から」のゴールドディスクが会場に飾られていた。完全に自分たちが受賞したかのようなドヤ顔である。

ところでこのイベントの正式タイトルは、「傷彦とガンプマンの2時間耐久尾崎豊〜ときどき靖幸」。単純に傷彦さんが岡村ちゃん歌いたいということで「ときどき靖幸」なのだと思うが、ガンプマンの玉置浩二が思いのほかクオリティが高かったので、次回から「2時間耐久玉置浩二〜ときどき靖幸」になるかもしれない。尾崎どこいった。