やまぎ日報116

8月8日

新幹線で新庄へ。三つ巴珍道中の山形編。すでに3日前から山形入りしていた2人と若干の温度差を感じつつ、会場へ。これから来る人のためにネタバレは避けるが、ライブは「これってギター持ってくる必要あったかな?」と自問自答をしたくなる内容であった。懸案事項もすべてSHOWとして成立させてしまうからこの3人が揃うと恐ろしい。


会場の「となりのカフェ」の店主タダセンパイは10年以上前にバンドで鳥取の米子で共演したことがあって、感動の再会。


新庄から山形まで戻り打ち上げの果ての、深夜3時。傷彦さんのキャッスルでスイカが出てきた。4時ころ座ったまま寝ていた。夜勤明けだったことを思い出した。

8月9日

仙台へ移動。その前に「やまぎのタスキも作ってくれたんだよ」と言われたので取りに行ってきた。


2人はこれをつけてお祭りを練り歩いたらしい。ぼくにはそんな強いハートあるだろうか。

仙台はフルハウスモカという古着屋でライブ。本屋、眼鏡屋、銭湯…。いろんなところでライブしてきたが古着屋は初めてだ。傷彦さんに「今日の衣装だよ」と言われて楽天のユニフォームをもらった。マーくんがいるところですか?と聞いたら全員引いていた。

ライブ後再び山形のキャッスルへ戻り、誰もまったく反省をしない反省会。

8月10日

山形名物、蕎麦屋の鳥中華を食べる。


冷たい肉そばといいこの鳥中華といい、山形の食べ物は非常にぼく好みなのだ。冷やしラーメン、冷やしおでん、冷やしシャンプー。山形の人はなんでも冷やすのだ。

今回は何事もなく行程どおりに進んでよかったと思いながら帰ろうとしたら、片山の旦那が「蕎麦屋にバッグを忘れてきた」と言い出した。これにより一気に帰りの飛行機、新幹線が危うくなった。なんとか無事に間に合い東京行きの新幹線に揺られていたら、「間に合いました!」という連絡とともに空港でビールを飲んでいる写真が送られてきた。相変わらずの珍道中となった。

8月11日

夜勤。23才の女の子に「パパ活」というものについて教えてもらう。

8月12日

自宅にて、鍵盤やらのレコーディング。今回、ピアノやその他諸々の音はぼくが家で録音している。仕事部屋は事情があって冷房が効かないのでサウナ状態。汗だくで何テイクか録り、限界を迎えてクーラーの効いたリビングに逃げ込む。それを繰り返しているうちに、これはサウナと水風呂の往復と同じだと気づく。やがて整い、曲もめでたく整った。