やまぎ日報220

6月7日

夜勤の前にCD-Rとケースを持って大塚ハーツの伊藤くんのとこへ。CD-Rを一気に10枚ずつくらい焼ける機械が大塚ハーツにあるのだ。一緒に作業をするつもりが、「ぼくやっとくよ?」と言う伊藤工場長。それは悪いよと言いながらダンボールをそのまま置いてきた。夜勤へ。

6月8日

ファニコン開設の準備をあれこれと。運営の方が実に丁寧に対応してくれる。夜は副業。帰ってきて晩酌。

6月9日

小倉範彦40歳。いつものコンビニで待ち合わせ、いつもどおりのラジオ収録。プレゼントを毎年考えるのが大変なので今年は直球で「何がほしい?」と聞いてみた。50歳ころには何がほしいかも聞かずただ現金を渡すシステムになっていそうだ。そして夜勤。スパルタ式新人研修に巻き込まれベテランのぼくがヒーヒーいっていた。

6月10日

夜勤から帰って荷物を待つ。「回想的東京」のジャケットが届くのである。発売日前日というギリギリのタイミング。夜勤明けでお風呂も入らずにひたすら佐川さんを待つ。午後2時に無事受け取り、急いでシャワーを浴びて再び大塚ハーツの伊藤工場長のところへ。ジャケットを封入してパッケージする作業を一緒にやるつもりが、「ぼくやっとくよ?」と言う伊藤工場長。それは悪いよと言いながらダンボールをそのまま置いてきた。副業へ。

22時に副業が終わり生産ラインをチェックしに再び大塚ハーツへ。工場長が残業していたので一緒にパッケージ作業を行う。工場長はナンバーガールのドキュメンタリー映像を流しながら、「ナンバーガールが解散するまでに終わらせる」というよくわからない目標を掲げ、黙々と作業を行う。


身体に似合わず実に繊細で細かい作業を器用に行う工場長。


自分の不器用さと飽きっぽさに次第にイライラしてきて今にも逆ギレしそうなクライアント。

ギョーカイ用語でいう「てっぺん」を回ったころに作業は終了。工場長とこれからの時代のバンドマンとライブハウスと小倉の将来について話し合う。帰宅して晩酌。

6月11日

いつもお世話になっております吉祥寺プラネットKでソロライブ。進さんとツーマン。とても幸せな夜だった。CDもたくさん手にとってもらえた。


ついに物販に並んだCD。伊藤工場長と冷やかし程度に手伝ったクライアントの共同作業の結晶である。スペースが空いていたのでワクチンの摂取証明書を置いてみた。回想的東京と特権的ワクチン。

終演後ノンアルコールでうだうだとしていたら、別会場でライブだった町田さんがふらりと立ち寄ってくれて、みんなでギターを弾いて遊んだ。なんでもない、なにげない、でもこれ以上ない幸せな時間だった。

 

6月12日

8時半に小倉機材車に拾ってもらい、名古屋へ。道中、「ダイの大冒険」のテレビ放送を少年のような目で見る小倉機材車。渋滞に巻き込まれ入り時間に間に合わず。シンガロンパレードさんにリハの順番替わってもらう。

ライブで久しぶりに小倉機材車とファーマーの長男を演奏(?)したが、自由すぎた。この日は稲穂を頭にくっつけて右往左往していた。情報が多すぎて回収しきれない。


集合写真。ぼくは「ワクチン打ってますけど何か?」のマウントポーズです。すみません。


自らの作品に寝そべり岡本太郎のような小倉機材車。「小倉機材車」って吉田戦車みたいでかっこいい気がしてきた。

夜はサウナで整ってカプセルの中で寝た。パイセンが生き返る夢を見た。

 

6月13日

朝からサウナ。そして名古屋から新潟へ。このルートは初。これくらいの距離はたいしたことないだろうと思っていたが、わりとたいしたことあった。ぼくがタイムテーブルを見誤って入り時間を30分勘違いしており、2日連続でリハの順番を替わってもらう。反省。お昼ごはんはへぎそばを食べたかったのだけれど、時間がなくてコンビニのおにぎりになったのが切なかった。

ライブでは「ファーマーの長男」演奏(?)中に小倉が「新潟は天下の台所!」と言った。お客さんはポカンとしていた。そりゃそうだ。天下の台所は大阪である。たぶん「天下の米どころ」と言いたかったのだと思う。

久しぶり新潟の皆さんに会えて嬉しかった。このご時世、残念ながら打ち上げはできず直帰。深夜に東京の自宅に着き、ビール飲んで寝る。