やまぎ日報394「見えなくなったものと、見えてきたもの」

7月29日

夜勤中に効率よく眠りにつくために早起きして体を作る。もはやアスリート。お肌のゴールデンタイムに爆睡。

 

7月30日

夜勤明けでサウナにチェックインしぶっ飛んで、再び夜勤へ。

 

7月31日

吉祥寺で夜ハ短シとツーマン。ちょうど開場時間くらいにゲリラ豪雨。「出演者にまた雨男おるやん」と周りを疑ったが、振り返ればソロライブ含め7月のライブはすべてゲリラ豪雨。犯人は他ならぬ私であった。しかも毎回ライブの入りと帰りのタイミングは晴れるので、自分は濡れずにお客さんだけがずぶ濡れになるという、他人に迷惑をかけるタイプの一番タチの悪い雨男の可能性が高い。

夜ハ短シのライブはエモかった。最近の若者はすぐにエモいエモいと言うが、これぞ本当のエモーショナルであった。

進さんから「ウラニーノはハードコアだね」というありがたいお言葉をいただいた。めちゃくちゃ嬉しかったが、ハードコアの人たちとの対バンが増えたら怖いのであまり大声では言わずに心に留めておこうと思った。

 

 

8月1日

猛暑で外に出ればナチュラルなサウナのようなものなのに、それでもサウナに行ってしまった。暑いところからもっと暑いところへ。もはや変態。夕方から副業ショートシフト。

 

 

8月2日

新幹線で岡山へ。16年ぶりの眼鏡屋「Glass AND Art」でのライブ!

高級メガネに囲まれて。お客さんの誰かが急に何かに取り憑かれて目の前の眼鏡をぶちまけても、私は日常生活賠償保険に加入しているから大丈夫(チェロと共演する時に入った)

幸い誰も取り憑かれることなくライブは平和に終わった。16年前の時にも来てくれていたお客さんや関係者の方々が来てくれて、いわゆるエモい夜であった。

そして森山さん。かっこいい。貴重な機会を本当にありがとうございました。

酔っ払って仕上がっている森山さんの写真もあるが、ハイセンスなGlass AND Artのブランドイメージと若干の差異があるので掲載は控えようと思う。

 

 

8月3日

今回の眼鏡屋ライブ開催に関しても動いてくれたのはもちろんこの人。

カジース!

カジースはライブだけでなく、オフ日の私の夏休みまでプロデュースしてくれた。

カジース、みをさんといった20年来のつき合いの岡山の仲間たちと、

意識の高い蕎麦を食べ、

道の駅で魚貝を仕入れ、

BBQ!


エモいって!

仕事も遊びも全力な最高な大人たちの仲間に入れてもらえて、お腹いっぱい胸いっぱい。

 

 

8月4日

大阪へ移動。チェックインの時間までホテルのロビーも駅のカフェも満席で、外は猛暑。居場所がなくなった私は、

お金を払って初めてここに閉じこもった。本来仕事をするスペースだと思うが、私は即神仏になる僧のようにただただ無になりチェックインまでの時を過ごした。

初めての「夜を灯して」でのライブ。久しぶりの和奏さんは、相変わらず昭和の健康優良児のように見事に日焼けしていた。町田さんからは「リッチメラニン」と呼ばれたそうだ。キレッキレの頃の有吉さんばりのネーミングセンスである。

この日の和奏さんのステージも素晴らしかった。もはやアスリート。ってか、アスリート。

最後は一緒に「少年時代」を歌った。客席には浴衣のお客さんもいらっしゃって、隣にはピアノを弾くリッチメラニン。夏にピッタリとハマった。実にいい夜だった。

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「見えなくなったものと、見えてきたもの」(※8月2日の眼鏡屋ライブで読んだ原稿を転載。)

 

2024年、ウラニーノはメジャーデビュー15周年を迎え、結成からは23年が経った。数字にしてみるとずいぶん長い時が経ったものだと感じるが、実感としてはあまりないというのが正直な感想だ。体型は20年前とまったく変わらず、幸い頭の毛の量もキープしている。健康面でも大病をすることもなく、歳を重ねたとはいえ、あからさまに体感で時の流れを感じることがなかった。これまでは。

昨年の頭くらいから、寝起きにスマホを見ると字が霞んでよく見えないことがあった。やがて取扱説明書の字がぼやけて見えなくなった。目が疲れているなと思った。ある時、職場で書類の文字がよく見えず、試しに受付窓口にあった貸し出し用の老眼鏡をそっとかけて見た。驚くほどよく見えた。健康診断では今だに裸眼で1.5という数値を記録し、遠くのものは相変わらずよく見える。しかし、近くのものが見えない。見えなくなった。

行きつけの居酒屋は東京にある。かかりつけの病院も、馴染みの美容室も、東京にある。お気に入りのパン屋も蕎麦屋も、東京にある。しかし、私の行きつけの眼鏡屋は岡山にある。

もともと目が良かったのだから、15年来の付き合いの眼鏡屋があるというのもおかしな話ではある。15年前のあの日、岡山でワンマンライブをやるためのプロモーションで、私はただただ連れて行かれた場所でライブをやった。場違いにおしゃれなカフェ、電気屋の店先、駅の地下道、それがどこであろうと若手芸人のように与えられた場所でとにかく歌った。そして最後に来た場所がここ眼鏡屋「Glass AND Art」であった。

なぜ眼鏡屋で歌うのか私も状況を理解していなかったが、店主の森山さんもまた、なぜ自分の店で歌われるのかたぶん理解していなかったと思う。しかし、それがきっかけで今日まで関係が続くのだから、縁というのはつくづくわからないものである。あれから、私たちウラニーノはここGlass AND Artの太客となり、森山さんはウラニーノのよき理解者となりよき飲み友達となってくれた。いつしか私たちは森山さんのことを、最大限のリスペクトを込めて「変な眼鏡屋」と呼ぶようになった。ライブで岡山を訪れれば当たり前のように飲みに行き、リハが終われば用もないのに会いに行き世間話をして、歴代サポートメンバーには高額な眼鏡を次々と買わせた。森山さんはいつもライブに来てくれるし、我々もメガネは買うけど、そういう関係以上の妙な絆が、森山さんとの間にはぼんやりと見えていた。

あの頃、全国を駆け回り、各地でお世話になった人がたくさんいて、よく行くお店もたくさんあった。しかし時が経ち、多くの人と疎遠になってしまった。メジャー契約が終わり自主になり環境も状況も変わったので、それは当然のことであり仕方のないことだと思っていた。しかし、なぜだろう。環境も状況も変わる中で、少しも変わらない関係がそこにはあった。プロモーターやイベンターさんなどの業界関係者でもなく、テレビラジオ局などのメディアの人でもなく、それは町の変な眼鏡屋だった。

近くのものが見えなくなった。しかし、同時にはっきりと見えてきたものがある。当たり前に近くにいてくれる人の大切さやありがたさ。仕事上の繋がりや損得ではない、生身の人と人との確かな絆。年を重ね取扱説明書の文字が見えなくなっても、それと引き換えに見えてきたものは、人生にとって何よりも尊いものだった。

「森山さん、マジで近くが見えなくなってきたのでぼくの眼鏡に遠近両用のレンズを入れてください」。そんなオーダーを森山さんに送るLINEの文字は少し見づらかったが、この変な眼鏡屋と築いた妙な絆は、昔よりも確かにはっきりと見えていた。

202482日 ウラニーノ山岸賢介