やまぎ日報362「人生何があるかわからない」

12月18日

秘密のプロジェクトでレコーディング。

早めに終わったので新宿のアップルストアに。アップルストアの店員さんは「多様性」を絵に描いたような面々で、どいつもこいつも神対応だった。ギリギリに入店してしまった保守的なビジュアルの私は手続きが押してしまい、神対応の店員さんにザンギョーをさせてしまった。

12月19日

久しぶりに家族で集まり、焼肉を食べる。

高級焼肉であったが、6切れくらいで満足してしまい、年齢を痛感する。

夕方から小倉家の近所のコストコへ行ったので、ついでに小倉家を訪問。ドラム小屋で震えながら今年最後のラジオ収録を行う。

12月20日

毎年参加させてもらっている町田さんの界隈の忘年会。町田さんが年に一回この日だけは飲むという恒例の日だったが、一口飲んだ瞬間に楽しい記憶がすべて失われるとのことで、近年は飲んでいない。今年も町田さんは野菜ジュースを飲みながらとても楽しそうだった。私はといえば、黒霧島が紙のパックで出てきて自分で作るスタイルだったので、家で飲むスタイルと完全に一致してしまった。

12月21日

レコーディングのミックスチェックで渋谷へ行き、そのまま忘年会。エンジニアでアウトドアの師匠でもある競さん、cojokの阿瀬さん、私と小倉。ゴチャついたセンター街を避け、4人でしっぽりオトナな飲みのつもりであった。しかし終盤、ダイエットに成功している阿瀬さんを「ラーメン食べたいんでしょ!!」となぜか扇動し、酔っぱらって4人でセンター街に繰り出す。そして神座(かむくら)でラーメンを食う。

久しぶりのキャムクラのラーメン。

阿瀬さんはこの時点ですでに記憶にないらしく、翌日自分で撮ったラーメンの写真を見て、「ぼくラーメン食べたんだ!」となったらしい。せっかくチートデイでご褒美ラーメンを食べたのに記憶にないとは気の毒である。

センター街で一番目立っていた小倉。

路上ミュージシャンにプレッシャーをかける小倉。

 

12月22日

サウナで忘年会の疲れを取る。サウナ内でおじさん同士が「汗が飛んだ」「いや、おれは汗をかいていない」と、この世で最も不毛な議論を繰り広げていた。久しぶりの夜勤へ。

12月23日

夜勤明けで副業ショートシフト。後半喋りすぎて呂律が回らなくなった。

12月24日

無性にユニコーンが見たくなり、高速をかっ飛ばし茨城の水戸まで。

私のバンド人生の原点はユニコーン。ユニコーンみたいになりたくてバンドを始めた14歳。知ったと同時に解散してしまったユニコーン。まさかの再結成をした2009年、どうしても生で見たくて、奇跡的にチケットが取れたのも水戸であった。あれから14年。ユニコーンは変わらず楽しそうに5人でステージに立っていて、43歳になった私がまた水戸でユニコーンを見ていた。なんだかそれだけで泣きそうであった。

ユニコーンを生で見られる未来があるとは思わなかったし、水戸という町にこうやって一人で来る未来があるとも思わなかったた。人生とはわからないものである。

ところで。

水戸クロスビーホールは最近できた新しいホールであるが、山崎まさよしさんの問題の公演が炎上し全国に名が知れたことは記憶に新しい。もしかしたらいじるかな…くらいに思っていたが、民生さんは最初のMCで「歌いたくない」と言った。さすがであった。