やまぎ日報 267

4月25日

夜勤明けの副業。夜勤と副業で12連勤の長いロードが続く。尾崎豊先輩の30回目の命日だった。生きていたら56歳。56のしゃがれたブルースを聴きながら夢見がちににセンチなため息をついている尾崎先輩もちょっと見てみたかった。

4月26日

週一のラジオ録ってからの、夜勤。23歳の新人がゲームの世界では「征服者」というすごい肩書きを持っているらしく、同じゲームをしているらしい看護師さんが恐れ慄いていた。ゲームのことはさっぱりわからないが、かわいい顔をしてこの男は征服者という別の顔を持つのだと思うと研修もちょっとキンチョーしてしまった。「山岸さんはゲームやらないんですか?」と聞かれたので「うーん、ゲームはやらないなぁ」と答えたが、


今さらDSで夜な夜なマリオを助けに行ってるとは言えなかった。おバキュームでオバケを吸い込むのだ。

4月27日

夜勤明け、寝ずにデモを作る。行き詰まったらリフレッシュするためにマリオを助けに行く。

4月28日

朝イチで胃カメラの結果を聞きに病院へ。ピロリ菌はいなかった。


乗客に日本人はいませんでした。いませんでした。いませんでした。

夕方から副業。たぶんこの人はSだろうなという女性の上司にミスを指摘され、M心が芽生える。

4月29日

5時半に起きてデモをシコシコと作る。ようやく完成。夕方から夜勤。風間くんと久しぶりに再会した。征服者の新人研修は続く。「病院だけどオバケなんていないからこわくないよ」と新人に言いながら、休憩は地下のカルテ室で電気を煌々とつけて眠った。地下には霊安室があるのだ。こわい。

4月30日

実家の母がお取り寄せグルメで取り寄せた鮎の塩焼きがおいしいと写真が送られてきた。


賞味期限は5月1日だという。見事に鮎に釣られた長男は埼玉へ。2時間ほどお茶をして民生委員として奮闘する母のすべらない話を聞き、鮎とともに東京へ戻る。鮎を肴に晩酌。12連勤の疲れが溜まっていたのか、黒霧島が鎮静剤のように効いた。