やまぎ日報423「昨日の自分を超える」

2月3日

午前中にマンションの消防点検が入るとのことで客人を招き入れるが如く家中を大掃除するも、大変あっさりと終わりただただ部屋がきれいになった午前中であった。昼過ぎからロングシフト。夕方以降や土日祝日の出勤が多い私は、平日の日中の人が多いオフィスは妙にキンチョーして挙動がおかしくなってしまう。いつかビルの入り口の警備員に止められる気がする。

 

 

2月4日

もはや小倉くんとの週一の定例会になっているコンビニ駐車場でのラジオ収録。からの病院の夜勤。暇すぎて、給料泥棒と罵られても否定できない勤務であった。一緒にシフトに入っていた後輩は朝の退勤のタイムカードを押しながら「15時間も職場にいたのに働いたという感覚が一切ないです」と言っていた。彼はタブレットで夜通し「Dr.コトー診療所」を一気見していた。病院の受付だからせめて医療ドラマにしようと思ったのだろうか。この前スパイダーマン観てたからそんなことはないと思う。

 

 

 

2月5日

夜勤明けとは思えない清々しい顔で帰宅し、私はだいぶ遅めの初詣へ。遅くなってしまったことと、給料泥棒であることを神様に詫びる。

厄は明けたが、毎年5,000円納めてご祈祷はしてもらっている。ご祈祷の際、神主さんに住所と名前言われるのちょっと恥ずかしい。文春みたいに「X介さん」でいいのに。

ご祈祷は毎年「家内安全」でお願いしてるのだけれど、今年は「商売繁盛」にしてもらった。商売が繁盛して、家内が安全じゃなくなったらどうしようという不安はある。



帰りに食堂「多万里」でラーメン。こういうのでいいんだよ、というか、こういうのなら食べられるんだよ。おいしかった。

夕方からシフトイン。どう見てもバンドマンな新人の研修を、あまりバンドマンに見えない私が素性を隠して担当。

 

 

2月6日

夜勤なんだけどそれまでの時間が惜しいので街へ出る。新大久保でTWICEのアクリルスタンドを買いそうになって手に取ったが、瞬時に冷静になってやめた。まだ推し活寸止め状態で留まっている。

夕方から夜勤。夜勤中に読んだ小説が悲しすぎて受付で一人メソメソと泣いていた。「なんか情緒がヤバいおじさんが受付にいる」と思われただろうか。

 

 

2月7日

昼過ぎに小倉くんが機材車で迎えに来て、吉祥寺のスタジオへ。ハルさんに入ってもらってウラニーノのリハーサル。


山岸くんのメインギターは1980年製のMartin D-28と2006年製のFender Custom Shopテレキャスター(1967 Relic)。

リハ後、小倉ドラマーは別のサポート現場のリハで新宿のスタジオに向かうというので、山岸くんは機材車に乗らずに自力で帰ることにした。手ぶらだったので何も問題ないと思ったが、小倉くんを見送った後でふと重要なことに気がついた。「どうせ車だし」と思って部屋着のまま来てしまっていたのだった。パジャマのスウェットで吉祥寺からバスで帰った。

 

 

2月8日

今日は一歩も外へ出ないぞと決めて、家でできることをひたすら片付けた。確定申告に向けて蓮舫ばりに経費の仕分け作業を行い、もう申告してしまおうとしたらまだ受付が始まっていなかった。勇み足が過ぎる。日報も書いてしまおうと思って、勢い余って明日の日報も書いてしまっている。

 

 

2月9日

昼からロングシフト。深夜のシフトが全然いないという窮状を目の当たりにし、1時間の残業を買って出る。前日に書いた日報ではまさか自分が自ら残業をする未来なんて考えていなかった。昨日の自分の想像を超えた今日の自分を褒めてあげたい。たった1時間の残業でそんな誇らしい気持ちになって帰った私は実におめでたい。

明日のこともわからないのに、人生先が読めることなどないのだ。現にここまでの私の人生、予想しなかったことばかりである。もう少し予想できてもよさそうなもんだけど。