やまぎ日報342「コンプライアンスの向こう側」

7月31日

夜勤。新人の女の子に「休憩に50分弱行ってください」と言ったら、55分くらいで戻って来た。念のため「50分弱」がどういう認識か聞いてみたら、「50分とちょっと」とのことだった。正しい解釈を教えたら「ごめんなさい!」と青くなっていたが、こういう認識の若い人は多いらしい。「主催者に30分弱と言われて35分ステージやっちゃって怒られちゃう人いそうだね」と言ったら、「主催者も30分弱を35分くらいと思っているかもしれない」と言われ、なるほどその通りだなと思った。時代と共に日本語も変わっていく。しみじみしながら私は45分くらいで休憩から戻って来た。

8月1日

中目黒のスタジオでしくじり先生とリハーサル、自分が「やりたい」と指定してきた曲なのにコードを覚えていないなど、相変わらずしくじっていた。演奏もさることながら、今回の目玉の「授業」の準備が大変である。現役の教師に対して、教員未経験のバンドマンが「もっとわかりやすく!」「滑舌が悪い!」などとダメ出しをするというのは、我が国にとって深刻な問題だと思った。

8月2日

夜勤。職場の人間関係がギスギスしている。少人数でシフトを回しているのに、バンドマンで言うところの「共演NG」が増えている。双方の言い分を「そうですねぇ」とテキトーに聞き流していることが、ぼちぼち双方にバレそうである。

8月3日

夜勤明けで消防点検のおじさんが来た。クローゼットに荷物を押し込んで部屋をきれいにしたのに、火災報知器はクローゼットの中にあった。夕方から副業5時間。ツアーの準備。

8月4日

岡山へ移動。


通常1時間ちょいでたどり着く御殿場まで4時間超えの大渋滞。「引き返す」という選択肢が頭をよぎる。

小倉くんが群馬を出て12時間。2時間押しで無事に岡山へ辿り着くと、新幹線で悠々と岡山入りをしたVIP大橋が居酒屋で待っていた。

公務員の飲み会に慣れてしまい、序盤はエンジンがまったくかからないしくじり先生であったが、

得意の昭和ピロピロ飲み。調子が出て来た。

この後、何の前触れもなく突然隣の部屋に行って襖を閉めたので、これは何か大ボケを用意しているかと思ったら、


幕末の志士の暗殺現場のようになっていた。

 

8月5日

しくじり先生高知公演。満員御礼。しくじり先生は短時間の間に笑い、怒り、最後には号泣し、完全に情緒がヤバい人になっていた。


ステージで過呼吸になるレベルで号泣している人を初めて見た。演出上泣かせにいった私が、引くほどであった。

人にバンドに歴史あり。10年前はそりゃいろいろあったが、こうして同じステージに立てるのだから、人生はわからない。

打ち上げで、ステージで言えないしくじりエピソードを話したら女性陣が全員ドン引きしていた。カツオおいしかった。

 

8月6日

しくじり先生岡山公演。おおちゃんとみをさんのバンドと。しくじり先生は高知で感情がダダ漏れになってしまったせいか、岡山では妙にクールであった。

打ち上げでは公務員がついにコンプライアンスの向こう側へ。

私は彼の人生を守りたいので、


顔だけにしておく。