やまぎ日報 317

2月6日

無限放送のレコ発で渋谷ラママでライブ。オープニングのなんちゃらアイドルさんに次ぐ若手枠という勝手な解釈でフレッシュな気持ちでステージに上がったウラニーノおじさんたち。

ウラニーノを始めた頃に最初に見たライブハウスのバケモノが井垣さんであった。あれから20年近い時が流れたが、今見てもバケモノであった。


登場して一音目で弦を切り、堂々とステージで弦を張り替え、仕切り直して登場からやり直した井垣さん。

「ひどい」が褒め言葉になるライブは、この人しかできないと思う。この日も最高にひどいライブであった。町田さんが「ずっと16」なら、井垣さんは「ずっと小6」くらいだなと思った。偉大な先輩たちの背中は、自分が続ける原動力になる。

2月7日

ギリギリまでダンボールに囲まれて、ラジオ録ってからの夜勤。

2月8日

引き続きダンボールに囲まれる。基本的に引っ越しは新しい暮らしへのワクワクしかないが、少しのさみしさと愛しさと切なさと心強さと。

2月9日

引っ越し。

引っ越し屋さんにはチップを渡すと仕事が丁寧になる。新居で引っ越し祝いの酒を飲んだ後、ダンボールの荷解き。スイッチが入っちゃって深夜まで行う。実にAB型っぽい。

2月10日

まさかの雪。旧居でガスの閉栓作業と管理会社の退去手続きに立ち会ってから、粗大ゴミを出しに。そしてそのまま副業へ。私生活がバタついてもシフトには従順。

2月11日

熊谷で夜勤フェス。今回は電車で行く。この判断が、後に大きな分かれ目となる。夜勤フェスなのに昼公演という、設定からしてツッコミどころ満載のイベントであるが、夜勤フェスの「良心」であった主催者のパイセンがいないのだから、「二人でやったらそりゃこうなる」という自由なイベントとなった。

パイセンの缶ビールを買い、お墓へ。久しぶりに3人で飲んだ。墓の前にしゃがみこみ缶ビール飲んでる姿は、完全に治安の悪い寺であった。

その後、パイセンのご実家にお邪魔し仏壇にも手を合わせたわけであるが、昼から飲み続けていた我々はパイセンのお父さんが注いでくれた合法ギリギリの濃度の焼酎に途中から完全にぶっ飛んでしまい、とても東京に帰れる状態ではなくなる。

結果、見知らぬ地方都市の駅前のビジネスホテルにカザマくんとチェックイン。ヘロヘロになりながら部屋にたどり着いた。パイセンがいたら苦笑いしていたことだろう。来年は最初から帰ることを諦めて事前に宿を取ろうと思った。

2月12日

深谷で目覚め、ホテルのバイキングをちゃっかり堪能し、スッキリして東京へ戻る。昼過ぎから早稲田で三上陽永演出の舞台「血は立ったまま眠っている」を観劇。素人が初めて見た寺山修司の世界。非常に難しかったが、詩人が書いた戯曲という感じだった。そして演出家三上陽永はさすがであった。陽永が演劇界で大物になったら、「三上先生に使ってもらったことがある」といろんなところで自慢させてもらおうと思う。

妙にお腹が空いてしまい、やむなく、いたしかたなく、劇場の近くのすき家へ。

小倉に牛丼のミニのごはんのグラム数をLINEで聞いたら、「企業秘密なので教えられない」と返事が来た。バイトの鏡である。

夜はようやく落ち着いた新居で一息つく。怒涛の1週間であった。2キロ痩せていた。