やまぎ日報 273

6月7日

風間くんと夜勤。最近の私は深夜になると携帯電話とKindleだけ持って駐車場へと消えていく。今夜も車中泊。

6月8日

朝、風間くんと別れ夕方に再び再会。そう、私たちは連勤。家には「おかえりなさい」と言ってくれる人はいないが、病院には「おかえりなさい」と言ってくれる日勤の人がいる。病院に住んで自宅に出勤してる気持ちになる。

6月9日

急遽歌の素材が必要になり、帰宅してすぐ歌う。玄関開けたら2分で歌う。夜は小倉範彦生誕祭(本人不在)の飲み会を西川口で行う。「行けたら行きます」という9割来ないであろう返答だった人たちがみんな来てくれて実に楽しかった。2連勤を共にした風間くんも来てくれてまた再会。

6月10日

夜勤。また風間くんがいて5日連続の再会。

6月11日

1回帰ってシャワーを浴びて副業へ。夜はさすがにヘロヘロになり早めに寝る。

6月12日

早起きして深谷のパイセンのお墓に。からの昼夜公演。昼は普通のライブ、夜は同じメンツで3年ぶりの尾崎ナイト。3年前尾崎を降ろしすぎて尾崎が取り憑き「尾崎鬱」になったという町田さんに3年ぶりに尾崎豊が憑依し、イタコ状態となった町田さんに会場は熱狂した。一方、どんなに尾崎を歌っても傷彦でしかない傷彦。尾崎豊は自由を求め続けたが、傷彦さんはナチュラルに自由を手にしていた。

終わったかに見せかけて始まったダブルアンコール(ただのカラオケ)。一音一句違わず尾崎の声とシンクロする町田さんに対し、私はサビしか歌えずAメロはお茶を濁すという、浅さが露呈する時間となった。

楽しかったが精魂尽き果てた。町田さんもかつて見たことないほどグッタリしていた。没後30年、尾崎の影響力を心身ともに痛感した一日であった。

6月13日

朝起きたら喉の痛み。急な発熱。相談センターに連絡して紹介してもらった近所の町医者へ。PCRして、トボトボ帰宅。夏風邪か、尾崎の呪いだろうと思い大人しく過ごす。

6月14日

薬を飲んだが熱は下がらず。夕方まで結果が出ないため、白とも黒とも言えないグレーな状態で落ち着かない。夜病院から連絡が入り陽性。ライブ関係者、職場、各方面への対応に追われる。知恵熱が出そうだ。もう出てる。

この熱の割には意外と動ける。食欲もなくはない。ポッポするなぁくらいな感じ。不思議なものだ。

6月15日

38.7℃。咳と喉の痛み。でも意外と元気。ワクチン副反応に比べると全然楽である。薬のせいかガンガン眠れる。ずーっと寝ている。

6月16日

37.8℃。だいぶ治ってきている。とりあえず映画を観たり本を読んだりして過ごす。

区からの支援物資が届く。住民税を払ってきてよかったと思う。

6月17日

36.8℃。解熱。少し咳は残っているがもうほぼ通常通り。ただただ暇である。昼過ぎにガスが止まる。この軟禁状態で火がつかないお湯が出ないは致命的。東京ガスに連絡をしたらすぐ来てくれるが、コロナ療養中ということで玄関のドア越しに電話で話すという不思議なコミュニケーション。結果、マンションの前で道路工事をして変なところを掘ってしまったとかで止まったらしい。

6月18日

両親が玄関先に支援物資を届けてくれる。冷蔵庫に入り切らないほどの食料。これでは毎日パーティー状態である。賞味期限の近いものからひたすら食べる。