やまぎ日報 259

2月28日

昨日届いたばかりのCDを車に積み込み、発送作業のため群馬の小倉家へ。リリース前日というギリギリのスケジュールになってしまったのは、2月が28日までしかないことを2人とも忘れていた、もしくはなめていたためである。我々は悪くない。2月が28日までしかないのが悪いのだ。

Amazonのバイトかというくらいひたすら梱包作業。小倉家の床の間の天照大御神に見守られながら。

根性のない農家の長男は半分で伸びてしまった。

悪いとは思いながらも「あとは頼む」と小倉に託し、ちゃっかりお父さんから収穫したてのブロッコリーをいただき、山岸くんは夜勤へ。

3月1日

リリース日。リリース日と言っても店頭に並ぶわけではないので、いち早くCDを届けるのみ。梱包!梱包!夕方から副業。

3月2日

休み。出かける。よく歩いた一日だった。

3月3日

久しぶりに朝サウナ。チルってから、副業。全部別案件なのに、みんなで示し合わせたかのようにこの日のライブ情報解禁を指定してきたものだから、告知対応に追われる。

3月4日

よっくんからフライヤー作ってくれと頼まれ、作ったことないのに引き受ける。あの人は丸投げするタイプかもしれない。

ほれ。

いつも小倉くんが作ってくれるからフライヤー作ったことがないフライヤー童貞の私。20年バンドやってて初めて作った。よっくんのOKももらい夜勤へ。

3月5日

ぽこぽこクラブの紀伊國屋ホールでの公演「光垂れーる」を観劇。曲を作る関係で台本は読ませてもらい、稽古場で通し稽古まで見せてもらっていたのに、本番を見て大感激。素晴らしすぎた。まさにエンターテイメントの極み。凄まじいエネルギー。劇団員の気合いを見た。まいった。ぼくが書き下ろした曲は玄太くんがステージで歌ってくれた。ぼくの曲ではなく玄太くんの、諭(役名)の曲になっていた。役者はすごい。「見てないで降りてこいよ」以来、ぽこぽこの皆さんとは時々飲んだり仲良くさせてもらってるけど、なんだかもうキンチョーして会えない気がする。そんくらいよかった。

大切な人を失った時、生者にできることは死者を思うことだけ。本当にそのとおりだと思う。どうしたって会えないし話せない。だからこそ、「思うこと」にすがって生きる。まさにぼくの日々はそんな感じだ。どうすることもできない「もやもや」は、抱えて生きていくしかないのだ。

クラウドファンディングに参加したら名前入りのちょうちんを飾ってもらえた。素敵。

劇団員の情熱の灯火は燃え上がっていた。2035年になっても絶対消えないと思った。改めて三上陽永くんが参加してくれた「劇場」を聞いた。「がんばれ、がんばれ」と歌う自分に、「いや、お前がな」と思わずツッコんでしまった。

3月6日

夜勤。この病院だけ異世界に迷い込んでいるのではないかと思うほど暇だった。労働意欲の灯火はあっさりと消えた。そもそも最初から火がついていないのかもしれない。