やまぎ日報126

9月23日

夜勤。

9月24日

全然進まないけど少しずつドラクエがわかってきて、近所を徘徊する。

9月25日

新宿ワイルドサイドトーキョーにてライブ、町田さんと武田組と夜ハ短シと。北海道のワイルドサイド、武田組のライブがすごい迫力だった。その直後に登場した我々は完全に埼玉のマイルドサイドだった。15年前に大宮Heartsで初めて共演したバンジーとOUTLAW、その時から町田さんと進さんはぼくにとって憧れの先輩であり、何度共演してもその背中はあまりにでかく、いつだってあの日の気持ちを思い出させてくれる。この日も、あの日と同じように興奮し、夜ハ短シの最後の1曲で泣いた。

さて、ウラニーノフーディLIGHTの先行発売開始日時、何も考えずなんとなく設定したのが災いし、なんとこの日のステージの10分前に開始となった。客席ではウラニーノの出番を待ちながらコソコソとポチッてくれた人もいたようで、「何もライブの日の本番の時間に重ねなくてもw」とクレームが殺到した。そりゃそうだと思った。


終演後、町田さんと進さんにやまぎTシャツを着てもらった。嬉しい。15年前のぼくに報告したい。まだこうして一緒のステージに立ってるぞと自慢したい。そして、11月7日のレコ発に町田直隆BANDと夜ハ短シ。もはや癒着。こんなうれしいことはない。

9月26日

都内の施設に入居していた祖母の妹のおばあちゃんが亡くなった。関東には身寄りがなく、姪にあたるうちの母が晩年はお世話をしていた。ぼくは生前会いにも行けずずいぶん疎遠になっていたが、お別れをしに斎場に行った。父も母も姉も、大往生のおばあちゃんを清々しく見送っていたが、一番関係性の薄いであろうぼくが情けなくもメソメソと泣いていた。生涯独身を貫き、一人で客船に乗って世界中を旅したかっこいいおばあちゃんだった。棺の中に猫のぬいぐるみが入っていた。おばあちゃんの新たな旅のお供をするその猫にもお花を供えた。

都内の斎場から喪服のまま熊谷のライブ会場へ。そしてこれからライブだというのに喪服からバイト着に着替える。もう、よくわからない。この日は通称「夜勤フェス」。同じバイト先の3人が集まって弾き語りをするイベント。

衣装も職場の完全再現という誰得かわからないこだわりを見せる3人。


どう見えもライブ前ではない。バイトの休憩中だ。

企画者は一番後輩だがあだ名が「パイセン」という、イダパイセン。オープニングではコンプライアンスギリギリのトークが繰り広げられる。パイセン、気を利かせて本当は職場の名札も用意してくれたのだが、当日名札が入った荷物を電車に忘れてきたため、「当直〇〇」と書かれた3人の名札は熊谷から遥か120km離れた神奈川県の国府津駅で発見されることとなる。いろいろまずい。


職場の漫画家がデザインしてくれた記念Tシャツ。やまさんは急性胃炎で救急外来を受診する患者という設定。こういう人、来る。


そして路上でTシャツデザインを実写で再現する3人。

その後パイセンの実家におじゃまして、飲む。「パイセンはいい人だからみんなに看取られて幸せな死に方をするよ」と言う風間くんに、パイセンが「いや、自殺しますよ」と冷たい目をして言い放った。見たことのない「黒パイセン」だった。結局朝まで飲み、本当の夜勤状態となった。朝日とともに、日勤の人が現れるかのようにパイセンのお父さんが起きてきたので、当直の我々は上がった。この二人がとても好きだ。

9月27日

パイセンの実家から、二人はそのままシフトにイン。パイセンは電車に忘れた荷物の中に家の鍵が入っていたらしく、帰宅難民と化す。ネットカフェにワンバンし、ギターを持って夜勤に行ったらしい。おもしろすぎる。ぼくは2人に悪いなと思いながらも、サウナに寄って整う。

9月28日

今度はぼくが夜勤。

9月29日

連勤。しかもイベントの追加公演かのように、また3人が揃うシフト。深夜、自前の寝袋を持って仮眠に行こうとするぼくにパイセンが「おれもなんか…自殺しよっかな」とボソッと言った。一昨日の「黒パイセン」を思い出して焦る。おい、待て。落ち着け。まぁ座れ。話せばわかる。しかし、どうやらぼくの寝袋を見て「おれもなんか持参しよっかな」と言ったらしい。聞き間違えだった。持参するのはいいと思う。自殺はよくない。自損行為は保険が利かないのだ。