やまぎ日報353「インドネシアNGの真相」

10月16日

サウナ行ってから夜勤。

10月17日

昼から風間くんと若い女子たちと飲む。下手したら娘のような年齢の女子と、果たして会話が成立するのかと戦々恐々だったが、年齢不詳のカザマくんはさすがだった。私もせめて気持ちをもう少し若く持とうと思った。永遠の39歳でいたい。

10月18日

ラジオ録ってから夜勤。

10月19日

ツアーの準備をして夕方からシフトイン。遅刻しそうになり、慌ててチャリで盛大にコケてしまった。恥ずかしさをごまかすために咄嗟に「えへへ」と笑ったら、完全に危ない人となった。

10月20日

ツアーオブダダヤマヤマ。初日の前橋きしん。私は町田さんと車で出勤。私と町田さんといえば車内BGMは尾崎を流したいところであったが、町田さんは尾崎を聞くと憑依してしまいライブに影響が出てしまう可能性があるので、尾崎は封印して岡村ちゃんを流した。


初のきしん!みんなさすがのライブで素晴らしい初日だった。初めましての重田くん、好青年だった。こわい人じゃなくてよかった!

ここでは定期的に「中島みゆきナイト」なるものを開催しているらしい。気になりすぎる。町田さんと東京モドリ。

 

10月21日

2日目は熊谷モルタル。再び町田さんと出勤。車内BGMはユニコーン。「踊る亀ヤプシ」というユニコーンの作品の中で最も謎で不気味なアルバムを流したところ、町田さんが急に右肩の痛みを訴え始めた。尾崎じゃないものが憑依したようだ。

本日私はトリ。アンコールの正解がわからず、メカ小倉を召喚して「ファーマーの長男」を歌った。どちらかといえば不正解だったと思う。


この4人のグルーヴが出てきた!いい感じ!明日で終わるけど!

町田さんと退勤。去年モルタルで開催された「尾崎ナイト」の帰りに同じように車で一緒に帰宅した直後、私はコロナを発症。2日後に町田さん発症。熊谷の帰路は少々トラウマなのである。

無事に東京に戻り、町田さんと近所のサウナへ。熱波を浴びている間、頭の中では尾崎のFreeze Moonの歌詞「俺は風を感じる〜♪」がループしていた。

 

10月22日

3日目は甲府。再び町田さんと出勤。甲府はウラニーノでも来たことがない。進さんのお膝元である。

この日の進さんのライブは神がかっていた。長く続けているとこういう奇跡のような名演に立ち会うことがあるのだ。この日見た進さんのライブはぼくのバンドマン人生でずっと忘れないだろう。


ハーパーズミルの店主坂田さんは「坂田ギター」というギターを作っており、世界のギター名工100人にも選ばれるスゴい人なのだ。リハでギター弾く時妙にキンチョーしてしまった。

3日間という短いツアーだったが、最終日は最終日特有の終わってしまうさみしさがあった。再会を誓ってまたそれぞれの道へ。

帰路、町田さんとついに尾崎を解禁し、尾崎を聴きながら東京へ帰った。町田さんの持病「尾崎鬱」が発症しないことを願いつつ。

 

ところで、ウラニーノのLINEスタンプの販売が始まったが、なぜかインドネシアでのみ販売の審査が通らなかった。

審査で引っかかるスタンプがあった場合、通常は理由も教えてもらえるのだが、このインドネシアで販売できない理由についてはどのスタンプが引っかかったのかさえ教えてもらえなかった。

しかたなくインドネシアを除外し販売を開始したわけであるが、気になってきたので私なりに調べてみた。

もしかしたら、、、であるが、


こちらのスタンプ。

 


現職のインドネシアの大統領、ジョコ・ウィドドさん。


…考えすぎだろうか。