やまぎ日報361「20年経てば、そうなる」

12月11日

夜勤。天皇家の先祖はユダヤ人!?という、右翼から狙われそうな本を読んでいる。

 

12月12日

夜勤明けでのんびりしていたら、急にこのまま一日が終わってしまうことへの恐怖心が芽生え、追い立てられるように家を飛び出した。区役所へ行き、窓口の「THE 公務員」なヴィジュアルの青年とあーだこーだ押し問答を行い、あてもなく電車に乗って用もないのに街を徘徊し、家の近くのスタバでコーヒーを飲んだ。コーヒーを飲みながら、「あのまま家でのんびりして一日が終わってもよかったな」と思った。そういうもんである。

 

12月13日

早朝からコインランドリーへ行きしっかり朝活をして、小倉と待ち合わせてコンビニ駐車場で週一のラジオ収録をしてからの夜勤。

人が食事をしている時に、すぐ隣のトイレで立ってジョボジョボと小便をするおっさんが職場にいる。


数ヶ月前に、こういうやわらかな表現で注意書きをしたのに、まるで伝わっていない。

ブチ切れた山岸くんは、


強硬手段に出る。手書きの明朝体が、いかに業務が暇であったかを物語っている。

こうなったら戦争である。おれが辞めるか、お前が辞めるかだ。おれは…辞めたい!!

 

12月14日

夜勤明けで夕方から副業シフトイン。20時間起き続けていると人は虚無の状態に近づいていく。

 

12月15日

横浜で弾き語りライブ納め。翌日、新幹線で岡山に向かう関係で横浜に宿を取っていることが店長三井さんにバレてしまい、


そのまま連行されサシ飲みすることに…。なんやかんやで楽しかった。そしておごってくれた。

深夜3時、三井さんが「そのへんですぐタクシーつかまるから!」と2,000円をくれたが、タクシーは驚くほどつかまらなかった。そして2,000円では足りなかった。

 

12月16日

新横浜から新幹線に乗ればいいところを、一人で新幹線に乗るのが初めてという小倉が心配になり東京駅へ向かう。私が遠隔で紐づけた小倉くんのSuicaは無事に新幹線改札を通過し、「初めてのお一人新幹線」プロジェクトはうまくいった。

先日の渋谷に続いてghostnoteが呼んでくれた20周年イベント。我々はトリ前。

出演バンド数も多く時間が押していたため、「私たちは絶対に押さない」という強い決意を示すためにステージで私が握りしめているものは、


ストップウォッチ。きっかり30分で自ら強制終了。

ビール片手に、「おおひらー!!」と野次とも声援ともつかない掛け声を客席後方から浴びせながら見たghostnoteのライブは、実に素晴らしく楽しかった。他人に興味がない自分が(当社比)、こんなに曲を覚えていて一緒に歌えるバンドは他にいないと思った。


みんな岡山の人なのに、ほぼ知ってる人。我々も20年近く岡山に通っているから、そうなる。打ち上げのある席に、トラックの運転手っぽい風貌の知らない面々がいた。後で聞いたら、なんとトラックの運転手の方々だったそうだ。

当てた私もすごいが、イメージを裏切らない先方もすごい。

 

12月17日

東京に戻るだけの一日。岡山を離れる前にカジースと3人で、自称セルフうどん発祥の店「名玄」へ。


そして岡山の激安スーパー「ラムー」へ。


普通東京から来た人が行く場所ではない。20年近く通っていれば、そうなる。

岡山〜東京間の3時間強、新幹線の席は隣であるが、小倉との会話はほぼゼロ。仲が悪いわけではない。20年一緒にいたら、そうなる。

体力と時間を消耗する機材車移動が当たり前であったが、新幹線移動がなんと楽なことか。完全に味を占めてしまいそうである。大人になったのだから、お金で時間を買いたい。