やまぎ日報406「物理的に言葉にできない」

10月21日

目覚めたら意外と元気。熱もない。余裕こいて部屋の掃除とかツアーの精算とかする。大事を取って代わりを探そうと思っていたが、全然働けると思って病院の夜勤へ。しかし、人と話してみて初めて気がついた。声が枯れてる。勤務中にどんどん出なくなる。オカマみたいな声になり、話す度に同僚や看護師さんの笑いを取れるすべらない男になる。

 

10月22 日

朝にはまったく出なくなり耳鼻科へ駆け込む。大量のドーピング剤を処方してもらい、再び夜勤へ。この状態では電話も取れないし患者対応もまともにできない。それでも誰も代わりが見つからないのだから働かざるをえない。私は社畜。久しぶりに会ったカザマくんといろいろ話したいのに話せない。

自分でこんなご案内を作る。トホホである。声にならない声で「お大事に」と発するたびに、言われた患者さんはみんな心の中で「お前がな」とツッコんでいたと思う。

 

 

10月23日

帰って大人しくする。夕方から気晴らしで吉祥寺に行ってスニーカーを物色。

プラケーの前を通りかかったら友達が変なイベントやってた。いつもなら突撃するところであるが、寄っても話せないので大人しく帰宅。急にコミュ障になった気分。

 

 

10月24日

だいぶ声が出るようになってきたのでためしにシフトに入ってみる。研修を担当した新人のおじさんが私にも負けないくらい体調が悪く、老老介護のような満身創痍の研修となる。「ダメだこりゃ」となり、おじさんと一緒に早退する。

 

10月25日

huenicaとの新米イベントのリハで埼玉県本庄市へ。リハーサルといえども私は相変わらず沈黙療法継続中のため、寡黙な男となる。「黙っているが機嫌が悪いわけではない」というのをアピールするために謎に笑顔を振りまく。歌えない私の代わりに小倉が聞いたことのない前衛的な日本語でボーカルを担当してくれた。「キモい。残念、ブサイク、死ね」という歌詞のところを、「キモい、ブサイク、ブサイク、ブサイク」と歌っていた。ブサイクに対して何らかのトラウマがある人の恨み節のようだった。

 

10月26日

中目黒でレコーディング。ずっとやりたいと思っていた生演奏での管楽器三重奏のレコーディングがついに実現!ファンファンに紹介してもらったクラリネットとファゴットの方に演奏していただいた。みんな何も言わなくても上手に演奏してくれるので、ディレクションらしいディレクションをすることもなく、私のこの日の仕事はマイクケーブルを2本巻いただけであった。


他に聞くこといくらでもあるだろうに、「その楽器いくらくらいするんですか?」という私の下世話な質問にも答えてくれる人格者の皆さんだった。

 

 

10月27日

三軒茶屋でhuenicaと農家ツーマン。恒例の新米のやつ。リハの時からスタッフさんがひたすらおにぎりを握っていて、まるで相撲部屋のようだった。普段は小麦の奴隷として生きる私も、この日はお米をたくさん食べた。リハ後、楽屋に差し入れでたこ焼きを届けてくださった方がいて、お米のイベントにピンポイントで「THE 粉物」を送り込んでくるセンスに脱帽した。私と同じく小麦の奴隷かもしれない。おいしくいただいた。


ライブは、ツーマンと言えど皆さんほぼ出ずっぱり。お疲れさまでした。huenicaとのライブはいつでも多幸感。

小田和正さんは「嬉しくて嬉しくて言葉にできない」だが、私はフィジカルな面で物理的に「言葉にできない」一週間であった。