やまぎ日報354「日本海に消ゆ」

10月23日

甲府から東京に帰り、今度はプライベートで再びハイウェイに乗り北へ。年に1回くらいはいいんじゃないかと決めている自分へのご褒美旅。


A5とは。紙のサイズではない。

近くにコンビニくらいあるだろうとたかを括っていたが、山奥で驚くほど何もなく、部屋で飲み直すお酒もつまみもなくて悶絶。旅先でハメを外すこともなく22時過ぎには寝てしまった。

10月24日

日本海に到達。新潟100%のDNAの血が騒ぐ。


と言いつつ、海はあまり好きではない。泳げないのと、小さい頃からサメの映画を見すぎたせいである。

帰りのことをあまり考えていなかった。東京までまぁまぁ遠かった。

10月25日

夜勤。20代の若手に「山岸さんが生まれた頃ってテレビは白黒でしたか?」と真面目に聞かれ、ジェネレーションを痛感した。わしゃ還暦か。

10月26日

夜勤明けで夕方からシフトイン。

10月27日

休み。眠い。とにかく眠い。やたら眠いのは鬱の初期症状と聞いたことがあるので、これはまずいと思いサウナで己と向き合っていたら、鬱ではなくただの寝不足だと気づいた。


夜は町田さんの練馬凱旋ワンマンに。「MCが長いと炎上する」とビビりながらも、練馬エピソードをたくさん話してくれた町田さん。

いいライブを見ておいしいお酒を飲んで、とてもいい夜だった。もう1杯ぐらい飲んで帰るかとお気に入りの店に行ってみたが閉まっており、結局帰ってきてから飲んだ。

会場で友達の青江くんに会えた。久しぶりに会ったのに「家飲みあるある」で盛り上がって終わった。昔からの友達に会って相変わらずだとなんだかほっこりする。

 

10月28日

夜勤。病院の入館証を紛失すると始末書を書かされるらしい。私の入館証は、だいぶ前に入館証を紛失したカザマくんにあげた。その後、カザマくんは見事にその入館証も紛失した。入り口でにこやかに「お疲れさまです!」と挨拶をすれば病院には入れる。ゆるいライブハウスと同じである。始末書は書きたくない。

10月29日

夜勤明けで昼からのロングシフト。休憩中に家に帰ると、もう一回行きたくなくなる。休憩いらないからぶっ続けで働かせてくれー!と言いたくなるが、そもそも帰らなければいいのだ。帰っちゃうのは帰巣本能だろうか。否、洗濯物を取り込むためである。

今回のタイトルの元ネタがわかってしまった人は昭和ファミコン世代。でもテレビは白黒ではない。