やまぎ日報 319

2月20日

某撮影。秘密裏に進めて完成したら突然アップしたかったのだけど、小倉も櫻井さんもすでに撮影の様子をSNSにアップしていた。そういう時代である。

撮影・監督は今回もしあわせ。このカメラの持ち手(ジンバルというらしい)はウラニーノからの誕生日プレゼントであるが、カメラが重すぎてヒーヒー言っていた。今度はこのジンバルを支える抱っこ紐のようなやつをプレゼントしようと思った。

2月21日

夜勤。「何かあったら遠慮なく起こしてください」と言いおき受付裏で眠るが、何かが起こるはずもなく、寝癖ができるほど眠った。

2月22日

数年前に一度集まった「千葉界隈のバンドマン飲みになぜか山岸」という飲み会。圧倒的多数派の千葉の皆さんが帰りやすい街でということで、有楽町にて。有楽町がはたして千葉に帰りやすいのかは正直わからないが、チョイスがおじさんで素敵である。楽しかった。最寄駅から自宅まで歩きながら中島みゆきさんをイヤホンで聴いていたら涙が出た。痛いおじさんになってしまった。

2月23日

夕方からの副業を日中にずらしてもらい、夕方からまた飲み。久しぶりに演出家の三上陽永先生と飲む。とても楽しかった。最近よくお邪魔する先輩というか先生というかのお宅が高級な会員制の飲み屋のようで居心地が良すぎて毎度飲みすぎてしまう。しかしフラフラになりながらも帰巣本能が働き、ちゃんと終電で帰った。山岸くんは大人になった。

2月24日

夜勤。山岸くんが怒らないのはやさしいとか心が広いとかそういうことではなく、単純に他人に興味がないのだ。と、見抜いた上司はなかなか見る目があると思う。

2月25日

夜勤。前日と同じメンツだったため、出勤したら日勤の人に「デジャヴだ…」と言われた。朝帰ったおっさんたちが夕方また同じ格好で来るのだからそうなる。受付裏で眠るのも慣れてきた。驚くべき順応性である。

2月26日

2連勤明けの土気色の顔で埼玉へ。実家に帰る途中、大学時代によく行ったラーメン屋にふと寄ってみた。

北浦和の百歩ラーメン。初期のウラニーノはライブ後にここでよく反省会をしながらラーメンを食べていた。初代ボーカルが抜けてしまい3人になったウラニーノの「ボーカルどうすんねん会議」が開かれたのもここである。ピストン大橋からの「おれ歌おうか?」というとんでもない提案、且つ本人から滲み出る「まんざらでもない感」にイラッとした私は、自分が歌う決意をしたのである。

実家で両親と談笑し、引っ越しであぶれたダンボール2箱をしれっと置いて帰った。退職した父が毎日楽しそうに暮らしている姿が嬉しかった。仕事を辞めて時間をもてあますどころか、父の「やりたいことリスト」はたくさんありすぎて時間はまだまだ足りないそうだ。

ぼくもよく、やることをメモに書いてリストを作るが、それははたして「やりたいことリスト」だろうか。「やらなきゃいけないことリスト」ではないだろうか。やりたいことをやらんでどうするのだ。父の姿からそんなことを考えさせられた。