やまぎ日報347「ぼくはウラニーノという船に乗っている」

9月4日

朝からホームセンターへ行くと、おじさんになったなと思う。DIYほとんどできないくせに、工具とか資材とかを「何に使うんやろ」と眺めているのが楽しい。しかしDIYはできない。お金を払ってプロに頼みたい。夕方から夜勤。

9月5日

夜勤明け。しくじり先生の準備に忙殺される。ここまで時間と労力をかけて本番コケたら、私がしくじり先生となる。

9月6日

ラジオ録ってからの夜勤。少人数で回しているシフトなのになぜかシフトが被らず3ヶ月ぶりくらいに会った同僚に、「ぼくと共演NG出してますか?」と思わず聞いてしまった。共演NGは出されていなかった。

変なDVDを貸してくれるくらいの関係性は保たれていた。

9月7日

NHKホールでレジェンド山下達郎さんのコンサート。

抽選で5回くらい落選したが、しつこく応募していたら当たった。よりによってジャニーズが会見をした日の夜だったが、そんな下世話なことは忘れさせる圧倒的なパフォーマンスだった。

9月8日

休み。コストコでオートミールを買う。ここんとこオートミールをずっと食べているが、オートミールがなんなのかを実際わかっていない。知っておこうと思ってググったが、調べてもよくわからなかった。

9月9日

朝からコインランドリーで乾燥機を回す。しくじり先生の資料の最終チェックと準備をして、夜は人が足りなくてアンダーとなっている病院へヘルプで駆けつける。

9月10日

桜新町NEIGHBORで「しくじり先生ピストン大橋」追加公演東京編。

内容は言えないが、私が授業の最後にスクリーンに映し出した画面がこれ。

よくも悪くも、こんなことやるバンドいないよなぁと思った。

打ち上げ後の写真を見て、人生楽しそうだなと思った。いい夜だった。

 

「拝啓、ピストン先生」(全文)

ぼくの好きなバンド「たま」の石川浩二さんの自伝で「たまという船に乗っていた」という本がある。内容はもちろんであるが、バンドというものを一言で表したとても秀逸なタイトルだと思う。
ぼくはウラニーノという船に乗っている。22年前、我々は共に「ウラニーノ」という名の船を作り、帆もエンジンもないその小さな船で大海原へと漕ぎ出した。心もとない小さなオールをそれぞれ1本その手に持ち、あっちでもないこっちでもないと、右往左往しながら、がむしゃらにオールを漕いだ。不安はあったが、それを超える大きな希望があった。苦労もあったが、それを打ち消す大きな喜びがあった。辿り着く先もわからないまま、時に荒波に揉まれ、時に沈みかけ、その都度力を合わせたり合わせなかったりしてなんとか乗り越え、その先にある素晴らしい景色をいくつも見てきた。いろんな港に立ち寄り、いろんな人が乗ったり降りたり、押したり引いたりしてくれて、力を貸してくれた。
ぼくらはウラニーノという船に乗っていた。
10年前、君はその船を降りることになった。今思えば実にあっけない別れだった。こんなものか、と思うほどに。陸に降ろした君を、当時のぼくは振り返ることなくまた船を漕ぎ出した。君が手を振って送り出してくれたかも、笑っていたかも泣いていたかも、わからない。今はそれを少しだけ後悔している。君の気持ちにもう少し粘り強く向き合えばよかったと。君自身にももう少し向き合ってほしかったと。
君と過ごした日々を、恥ずかしげもなくたった一言で表すならば、それは紛れもない「青春」であった。いいことも悪いこともたくさんあったが、時が経ち、私たちは素晴らしい青春を過ごしたのだなと、今は心から思う。乗員が小倉と2人になった「ウラニーノ」という船はまだ進んでいる。沈むこともなく、降りることもなく。ぼくはこの船を誇りに思っている。この船は、ぼくの人生である。
この先1020年と時が経ち、君が乗っていたことがもっと遠い記憶のこととなっても、この船を共に作り、船出をし、青春を過ごしたことを、君も誇りに思ってくれたら嬉しい。そう思ってもらえるように、ぼくは小倉とまだまだ旅を続けるつもりでいる。ぼくはウラニーノという船に乗っている。
ひとつだけしておきたい話がある。先日、ウラニーノのレコーディングで10年ぶりに君にベースを弾いてもらった。君は佐久間さんが最後に作ってくれたベースを持ってきた。脱退が決まった後、あのベースを作りながら佐久間さんはスタジオでぼくにこんなことを言った。「せっかく作っても、使ってもらえない楽器になるのは辛いなぁ」と。「残された時間を考えると、これがぼくの作る最後の楽器になる」とも。ぼくはその言葉が正直ずっと心のどこかに引っ掛かっていた。
今回、初めてそのベースの音がウラニーノの新曲として作品に残ることとなった。その瞬間、ぼくはなんだか佐久間さんとの果たせなかった約束を一つ果たせたような、そんな不思議な気持ちになったのだ。
そして、久しぶりに君のベースを聴きながら、当時誰もがネガティブなことしか言わなかった君のベースを、佐久間さんが決して否定せずに評価をしていた理由が少しだけわかった気がした。現役時代にたぶん一度も言ってないし、言うべきだったことなのかもしれないが、時が経った今なら言える気がする。ピストン、ベースとてもよかった。
さて、君は現役時代「コンプライアンス」という言葉から最も遠く離れた最前線で、その生き様を晒してきた。そんな君がコンプライアンスガチガチの地方公務員に成り下がり、世間の目を気にしながら過ごしていることは実に滑稽に思えた。ステージで腰を振り客席から悲鳴を浴び、打ち上げでパンツを破いて下半身を露わにし数々の居酒屋を出入り禁止になってきた男が、今は堂々と子供たちの前に立ち、あろうことか「道徳」の授業まで担当していると思うと、実に恐ろしい。
10年前、もちろんいろいろあった。しかし、今こうして同じステージに立っていることが、全ての答えなのかなと思っている。10年前、ぼくはメンバーを一人失ったが、友達は失わなかったということだ。それはとても幸せなことだと思う。
今回は本当にありがとう。また機会があれば、現役時代にもできなかったおもしろいことをやろう。ぼくらは同じ船に乗った仲間なのだから。

2023年9月10日 山岸賢介