やまぎ日報 262

3月21日

旅の準備。からの副業。

3月22日

ウラニーノ機材車が昼過ぎに迎えにきて、2人で都内リハーサルスタジオにてリハーサル。

時間ギリギリまで演奏をしてしまいスタジオの店員さんが入ってきて慌てて片付けをするのが「バンドマンあるある」なのだが、我々は30分前には終わってしまいスタジオを退出。店員さんも「え、もう終わりっすか?」と驚いていた。やりすぎはよくない。小倉が練習大好き人間でなくてよかった。

のんびり京都へ移動。無事到着。山岸社長が押さえたのはサウナ着きのホテル。サウナ内で、サウナ初心者の大学生らしき若者に話しかけられ、おじさんはサウナを語ってしまった。サウナを出たら彼はかわいい彼女と部屋に戻っていった。

おじさんは一人で部屋で飲んだ。

3月23日

京都拾得初日。片山さん、ピストルさんと再会。演者としてよりも主催者として、ようやく開催できた喜びが溢れてしまった。久しぶりに再会した同世代ミュージシャンの、敬称が「さん」か「くん」か問題。片山さんや小倉は年齢に関係なく先輩でも「くん」で呼ぶジャニーズスタイルの傾向であることが判明。ぼくは基本的に年功序列スタイル。楽屋で一回「ピストルくん」と呼びかけてみようとしたがビビってやめた。

ホテルに戻って。これはデジャヴだろうか。

3月24日

拾得2日目。山岸くん、ライブハウス入り前にiPhoneを紛失するという大失態。しかしノートパソコンの「iPhoneを探す」機能で、なぜか移動を続ける私のiPhoneをミッションインポッシブルのように追跡し京都市街を駆け巡る。いろいろありすぎたこのエピソードはいつか落語バリに練り上げて披露しようと思う。結果、iPhoneは手元に戻る。無駄に疲れ果ててしまい、ちゃんとライブができるか不安だったが、この日の先輩2人のライブが素晴らしすぎてケツを叩かれた。驚異の着券率100%。主催者冥利に尽きる夜となった。

こんな夜をまた作るために、続けていこうと思った。

何者かが撮った打ち上げの帰り道のピストル兄貴と私。「いい話をした」ということは覚えているが、内容はほぼ覚えていない。

ところで。

ライブの出番前の楽屋にて。ようやく手元に戻ってきたばかりのぼくのiPhoneが再びない。慌てて探していたら、地味なところに隠されていてこの紙が添えてあった。

おい、ピストル。

3月25日

岡山から京都へやってきたサプライズゲスト、その名もカジース。

カジースがいるだけで、京都の街並みが岡山に見えてくるほどの存在感。カジースとランチをしてウラニーノ号は東京へモドリ。往路より復路がやたら疲れた。帰って飲まずに就寝。

3月26日

早起きして経費清算。夜勤前に嬉しいことがあってテンションが上がる。夜勤に行ったら風間くんがいてまたテンションが上がる。同僚とイライラモヤモヤすることを話し合う。心に余裕がないと許せないことが増えていくものだなと思った。財布よりも心に余裕を持てる人生の方が幸せだなと思った。財布にも余裕あるに越したことないけど。てか、財布に余裕あれば心にも余裕が出るのかもしれないけど。

3月27日

みかしゅんに呼んでもらって熊谷で弾き語り。早めに家を出て、深谷のパイセンのお墓へ。

パイセン、新譜を聴いてくれ!この後、雨が降った。ジップロックに入れといてよかった。

熊谷に向かう途中に道の駅があって立ち寄ったら超楽しかった。

これが深谷のソウルフード「フライ」である。「フライ」っていうからコロッケみたいな揚げ物が出てくるのかと思ったら、お好み焼きみたいの出てきた。

そして、直売所で超絶ぶっとい深谷ネギを買う。立派すぎてもて余すレベル。ライブの物販で転売しようかと思った。

ライブ前に小倉が牛丼を持って現れ、牛丼屋へ帰っていった。休憩時間に来てくれたらしい。働きすぎ。

みかしゅんにとってパイセンは先輩、ぼくにとってはパイセンは後輩。もはや設定が落語レベルであるが、そんなパイセンが繋いでくれた縁だと思った。最後にパイセンの歌を二人で歌った。

現場では特にツッコまなかったが、みかしゅんはたぶん「すしざんまい」の社長をリスペクトしているのだと思う。