やまぎ日報234

9月6日

日報の更新。「日報」と言っているが、週に一度記憶を掘り返しながら1週間分綴る行為は「週報」である。タイトルを「やまぎ週報」に変えたほうがいいのか。週報といえば、関係ないが大学の時に美術科の小倉の学年にシュウ・ホウさんという中国からの留学生がいた。小倉がよくシュウホウさんのモノマネをしていたのを思い出す。ぼくは、飛び込みでやってきた他学部の王くんという留学生にピアノを教えていた。当時の方が我々はグローバルだったかもしれない。夜勤へ。彼女との別居がナタリーで報じられまさに「時の人」となっているカザマくんに直接いろいろ聞いていたら、ワイドショーの囲み取材のような気分になってきた。わしゃ梨本さんか。恐縮です!

9月7日

一度帰宅したが、数時間後にはラジオ収録のため再び病院の近くのコンビニに出没。小倉と対面スピーカー。そしてトンボ返りで都内に戻り、副業5時間。筋トレしてビール飲んでプラマイゼロになって寝た。

9月8日

7時半に起きれたら免許更新に行こうと思っていたら、6時半に目覚めた。免許センターへ。免許更新とは3年に一度さだまさしさんの「償い」を聴く日という認識だったが、今回は聴けなかった。不思議なことはあるもので、交通事故がいかに恐ろしいかをたっぷりと吹き込まれたその帰り道、けっこうな交通事故の現場に鉢合わせてしまった。周りに人がいなかったので通りすがりのバンドマンもいろいろ対応することに。詳しくは書けないが怪我をされた方が無事でいてくれることを願う。


大したことはしてないが救急隊に感謝状をもらった。なかなか大変な1日だった。

9月9日

夜勤。仮眠してたらなぜか落語をやらされる夢を見た。めちゃくちゃすべっていた。悪夢だった。

9月10日

夜勤明け。パソコンに向かって機材の設定や操作に四苦八苦。明日のライブのために小倉の声をマシーンに取り込み「メカオグラ」を作り出すのだ。人造人間を作り出すマッドサイエンティストの気分でリフレインされる小倉の肉声を加工していた。なんとか終えて、夜は酒を飲みながら大門先生。シーズン3に入った。

9月11日

横浜ベイシスでソロライブ。説明しよう!「メカオグラ」とは「ルーパー」という同じフレーズを自動で繰り返すマシーンに小倉の声を入れて再生し、それに合わせて生で演奏するという、まさに「バーチャルウラニーノ」とも呼べる画期的な発明なのだ!これによって群馬にいる小倉と横浜でセッションするというハイブリッドなライブが可能になったんだよ!こいつ…動くぞ!!

メカオグラは多少暴走はしたものの無事に起動した。ステージを終えて楽屋に戻ったらマスミサイルのようすけさんが「今日の山岸くんのライブ、小倉くんにも見せたかったな…」としんみりつぶやいた。いや、死んでねぇんだわ。

そのマスミサイルのライブ、ぶっちぎっていた。ここまでぶっちぎられると爽快でしかない。きれいな夕焼けとか見て「エモい」などとぬかしている若者たちに、よっくんを見せてやりたい。本当の「エモい」とはこういうことだぞと。


共演の20年戦士の仲間たち。いい一日だった。三井さんのお面と病み上がりよっくんのお面を使えなかったことだけが心残り。

9月12日

夜の配信に向けて準備。そして副業5時間。大変な電話対応があり疲弊した。ちょっと残業したので、帰って即配信。玄関開けたら2分で配信。出会って4秒で配信。